東北三大祭りの一つに数えられる秋田竿燈まつり
一度は耳にしたことがあるお祭りかと思いますが、竿燈まつりとははたしてどんな祭なのでしょうか。
竿燈まつりの見どころを紹介していきます。
目次
秋田竿燈まつりの起源は江戸時代まで遡ります。
秋田をはじめ東北地方で行われていた、「ねぶり流し」が変化したものとされます。
「ねぶり流し」とは疫病や、邪気などの悪いものを追い払うために行われていた行事。
もともと「七夕」や「灯篭流し」にあたるもので、願い事を書いた短冊を川に流すことで穢れを払っていました。
青森ねぶた祭りの語源もこの「ねぶり流し」から来ているそうです。
竿燈まつりは、京都祇園祭のようなお寺のまつりごとではなく、庶民の間でおこなわれてきたものです。
歴代藩主の庇護を受けこの伝統行事が大きく発展してきました。
9代目藩主の佐竹義和は、城下の繁栄のため、この行事を後押しし、五穀豊穣を祈る町紋を授けました。
現在でも提灯や半纏にはその町の象徴となるものや縁起物が描かれ、その想いが引き継がれています。
竿燈まつり当日には佐竹氏を祀る八幡秋田神社(千秋公園)で安全祈願と竿燈の先につける御幣(ごへい)を受けます。
また現在でも開始時の竿燈は歴代藩主に敬意を表し、かつての城があった方角(現在の千秋公園)に向けあげられています。
町民の想い、藩主の想いが三世紀に渡り、今も大事に伝承され続けています。
竿燈まつりが他の東北祭りと異なるのは、1台ごと順番に山車がまわってくるのではなく、一斉にスタートするということです。
開始の合図とともに約280本もの竿燈が一斉に上がる様子は圧巻です。
観覧席から思わず歓声があがるほど。
竿燈は、竿燈の大きさと提灯の数で「大若」、「中若」、「小若」、「幼若」の4つにわけられます。
大若になると重さ約50キロ、提灯の数は46、約12mにもなり、その大きな竿燈の穂先が弓のようにしなりながら揺れる様子が美しいです。
五穀豊穣を祈る竿燈まつりの掛け声は「ドッコイショー。ドッコイショ」、「オエタサー、オエタサ、根ッコツイタ、オエタサ」
ドッコイショは重い竿燈を持ち上げるための掛け声、オエタサはうまく据わった竿燈が、根づいた稲のように動かない意味を表しています。
蝋燭の明かりが灯された提灯が夜空に揺れる様子は、まるで黄金の稲穂がユラユラと風に揺られているようで大変幻想的です。
竿燈の柄をどこでバランスをとるのかにより、技の熟練度がわかります。
平手:手のひらにのせバランスをとる基本的な技
肩:片方の肩にのせて首と腕でバランスをとる技
額:空を仰ぎ額の上にのせてバランスをとる技
腰:熟練した技が必要な腰にのせる大技。上手く静止できれば扇子や傘を持ってポージングする。観客からは大きな拍手や歓声があがる。
迫力だけが竿燈まつりとは言えません。
竿燈まつりのもう一つのみどころは大人に混じり行われる幼若、小若の技の数々。
毎年父の妙技を見てきたけれど、「今年はいよいよ自分の番!」と張り切って肩を並べ入場する子供達が大変愛らしいです。
一方で、かつては幼若を持っていたであろう子が少年に成長し、小若に扇子を開いて決める姿もまたとても凛々しく映ります。
代々継承されるのは技だけではなく、竿燈祭りや自分の町に対する誇りや敬意を感じられます。
今までも、そしてこれからもこうして伝統が人の手で受け継がれていくのだということがわかります。
280本もの竿燈があれば火事を心配する方もいらっしゃると思います。
この提灯には燃え移らない仕組みがあります。
大きく揺れ、倒れてしまうと中に風が入り消えるように作られています。
短くなるまでともされた提灯の蝋燭は短いほどお産が短くなると言われ安産のお守りとなります。
あまり知られていないことですが4日間に渡り行われた妙技の翌日、大変重要な行事が行われます。
始まりの日に八幡秋田神社で受けた御幣は、竿燈の先に付けられ穢れや災厄を集める役割をはたします。
その御幣を翌日の8月7日に川に流すことで竿燈まつりは終わりを迎えます。
冒頭でご紹介したように竿燈まつりは疫病や、邪気などの悪いものを追い払うためにのねぶり流しです。
そのためこの御幣流しは大変重要な行事と言えます。
いかがでしたか。
日本が誇る美しき伝統の技、秋田竿燈まつり
黄金の稲穂が夜風にユラユラと揺られる様子を是非会場でご覧ください。