西暦2024年は4年に一度のうるう年。
一見繋がることのなさそうな組み合わせの”うるう年”と“お遍路”。
このうるう年にめぐることで他の年よりも功徳が3倍になると言われるようになったのはある言い伝えが始まりです。
四国お遍路を始めた最初の人「衛門三郎」
伊予を治めていた河野家の一族に衛門三郎(えもんさぶろう)という豪農がいました。
衛門三郎は裕福で権力もありましたが、情け容赦のない強欲な人間でした。
ある時、僧侶が三郎の家を訪れ托鉢をしようとしましたが、そのみすぼらしい姿をみて乱暴に追い返してしまいました。
それからというもの、三郎の家では不幸が続きます。
あの追い返した托鉢僧は弘法大師だったことに気づいた三郎は許しを請うために八十八カ所を巡拝する弘法大師の後を追うのですが、20回巡っても会えません。逆からまわれば弘法大師に会えるかもしれないと気づき逆まわりをしたところ21回目にようやく会うことができ、罪を許してもらい、浄土へ旅立ったということです。この21回目が陰暦のうるう月にあたることから、うるう年に逆まわりをすると弘法大師に会うことができる、ご縁の年といわれるようになりました。
ちなみに三郎が亡くなる間際に「来世は人の役に立ちたい」といったことから弘法大師は石に「衛門三郎再来」と書き、その手に握らせました。
翌年、「衛門三郎再来」と書かれた石を握りしめた男の子が生まれ、その石はお寺(現在の石手寺)に納められ今も大事に祀られています。
お遍路とは、祈願の目的で四国の弘法大師空海の霊場八十八箇所を巡り歩くことです。一番札所霊山寺から始まり、最後の大窪寺で八十八札所になっています。最後までまわると、結願、満願といいます。
きっかけは衛門三郎で、弘法大師様に会うためということだったのかも知れませんが、2024年になった今も何故お遍路めぐりが人気があるのでしょうか。
・答えは一つではない、きっかけはひとそれぞれ
生前来れなかったご家族の供養になればと参加される方、
身近な方の事故や病気などで自分の命を見つめ直すきっかけという方、
何となく一度はやってみたいと思っていたという方、
始める理由はひとそれぞれのようです。
四国にお住まいの方は何周も数え切れないほど巡られる方も少なくありません。
そんな方にお話を聞くと「ご挨拶に」、「日々の習慣」、「既に生活の一部」というお返事をいただきます。
どんな理由でも、理由がなくても、まず「始める」ということに意味があるのかもしれません。
菅笠などに書かれている「同行二人」
もともと「同行二人」は、一人旅ではなく自分と弘法大師の二人旅ということです。
たとえ一人旅で来ていても、「同行二人」が心の支えになっているというのが八十八ヵ所巡れる理由のひとつかもしれません。
お遍路旅を通じて、人としてどうあるべきかを学ぶことができます。
お遍路の心構えに「十善戒(じゅうぜんかい)」というものがあります。
●生きているもの、すべての命を大切に
●物を盗まず、他人のものも大事に扱う
●性は尊いものであり、節度を持って性を考える
●偽りはいわず、真実を話すことに心がける
●虚飾のは話さず、飾らない本当のことばで話す
●悪口をいわず、相手を思いやる
●二枚舌を使わず、温かな気持ちで話す
●欲をはらず、感謝の気持ちで過ごす
●怒りをおさえ、心を落ち着けて、優しい気分で過ごす
●よこしまな間違った考えを捨て、どの人にも平穏な気分で接する
「始める前の自分」と「結願後の自分」を見つめ直した時の心境の変化に気づいたという声が多いことに驚きます。
食事・暮らし・生きていることなど「日々の当たり前」への感謝や、他人への思いやりなど、殻をむいたように新しい自分と出会えたと言われます。
八十八という数字は人間の煩悩の数から来ているとも言われています。
そのことから結願すると悩みや不安から解き放たれたような、清々しい気持ちになったと言われることもあります。
4年に一度、うるう年のご縁。
ご興味のある方は、是非2024年に巡られてみてはいかがでしょうか。