なぜ一生に一度はお伊勢参りなのか

みんなが行きたくなる伊勢神宮の魅力とは

今も昔も毎年多くの方が参拝に訪れる伊勢神宮。

お仕事が少し落ち着いてゆっくりご夫婦で、というだけではなく、家族でも、若い方も女子旅としても本当に様々な世代の方が日本各地からお出掛けになります。

こんなにも日本国民を魅了するのは何故なのか、昔にタイムスリップして考えていきたいと思います。

 

宇治橋のにぎわい初詣でにぎわう宇治橋(C)伊勢志摩観光コンベンション機構

どうにかして行きたい江戸時代の人々の驚きの参拝方法と当時の人々の心の温かさ

江戸時代には伊勢神宮の参拝が大ブームに。皆が一生に一度は行きたいと夢見た場所。
老若男女、犬までもが出かけたお伊勢参り


江戸時代に入り、戦の絶えない時代が終わると、庶民も足を延ばして遠くに旅に出ることができるようになりました。
当時は歩きの旅で、途中宿場で休憩をしながら長い時間をかけてお伊勢さんを目指しました。
関宿3三重フォトギャラリー
今も昔の面影を残す関宿 提供:三重フォトギャラリー

―きっかけは弥次喜多道中―
この道中の様子を物語にし、面白おかしい珍道中として当時大ヒットしたのが「東海道中膝栗毛」。
この膝栗毛とは馬の栗毛と自分の膝をもじったもので、今で言う「あしカレーター」(言ってるのは私だけ!?)要は徒歩での旅のことです。
弥次さん喜多さんの小気味良いテンポと珍道中がうけ、江戸後期に出版されたこの本はベストセラーとなりました。
この本が更に庶民のお伊勢参りの憧れを強めます。

―庶民がつくった新しいシステム、伊勢講―
実際行くとなると旅には先立つものが必要、でも庶民には大金が用意できないため
、「伊勢講」というシステムが存在しました。
お金を積立て、毎年代表者を参拝に送りだし、代表者はメンバーのお祓いも受けて帰るという仕組みでした。



―どうしても行きたいからコッソリと—
お伊勢参りが人気になると、今度は「抜け参り」の人がでてきます。
日々寝泊りして働いているような奉公人はせいぜい家族の危篤などの理由がない限りは自分の為の休みなどとることが出来ませんでした。
一週間以上の休みなんて夢のまた夢、それでもどうしてもお伊勢参りに行きたいいう一心で、誰にも告げずこっそり抜け出して伊勢参りの列に加わる、という人が増えてきました。
当時は厳しい生活の中ではありましたが、伊勢神宮に行くのは信神深いこと、ということなのか皆温かく見守ったようです。

―誰も行けないならうちの犬に―
それでも「抜け参り」ですら出来ないような人や身体の事情などで行くことが叶わない人は犬に代わって行ってもらうという方法が誕生します。
犬の首もとにしめ縄と巾着(旅の費用)を下げ、伊勢へ行く人の列に加わらせてもらいました。
おかげ犬1おかげ犬をモチーフにしたお土産

―『おかげ様』で叶った伊勢参り—
このような身一つで列に加わった参拝者や犬も道中困ることはありませんでした。
宿や食事を用意したり、旅賃やお茶を振る舞ったりと、積極的に手助けをしたそうです。
施すことで徳を積むという事でもあり、道中の施業も盛んにおこなわれていたため、無事にお伊勢参りをすることが出来たようです。
神様のおかげで、道中の皆さんのおかげで、いつしか抜け参りではなく「おかげ参り」と呼ばれるようになりました。

古来の参拝方法にはどのような意味があったのか

江戸時代に人々が参拝したルートは①二見浦⇒②外宮⇒③内宮⇒④朝熊宮の順と言われています。

①まずは二見浦で禊を済ます
夫婦岩夫婦岩(C)伊勢志摩観光コンベンション機構

昔から霊域であり何処よりも清浄な浜辺として知られる二見浦。
一帯を禊浜といい伊勢参宮を間近に控えた参拝者が、浜辺で汐水を浴び心身を清め禊祓をされた霊場であり、 穢れを祓い清め心身を清浄にされてから、神宮へ向かう慣わしであったようです。 
現代では、二見興玉神社を参拝することで禊とされています。
この神社のご祭神はこの地に降りた天照大御神をお迎えした猿田彦大神。
お出迎えした時の霊石が「興玉神石(おきたましんせき)」といわれ、夫婦岩はその霊石を拝する鳥居としての役目があります。
興玉神石の周りより採取された御霊草無垢塩草(ごれいそうむくしおくさ)にて「無垢塩祓い」を受けることもできます。
(参考資料:二見興玉神社公式サイト)

②外宮(豊受大神)を参拝
外宮正宮外宮正宮(C)伊勢志摩観光コンベンション機構
天照大御神の食を司る神様として1500年前から鎮座されています。その他衣食住、産業の守り神としても知られています。

③内宮(皇大神宮)を参拝
内宮正宮
内宮正宮(C)伊勢志摩観光コンベンション機構

皇大神宮は皇室の御祖先であり、総氏神として崇められる天照大御神をお祀りしています。
この外宮、内宮という名の由来は諸説ありますが、朝廷のことを「内裏」というように「内」は天皇を意味すると考えられ、「内宮」
そして内裏の外にある宮をのことを「外宮」と呼んでいたのがはじまりと言われています。

④締めくくりは朝熊山1朝熊岳金剛證寺朝熊岳金剛證寺(C)伊勢志摩観光コンベンション機構
あれ?お寺。と思うかもしれませんが、神仏混合の名残がここにあります。伊勢神宮の奥の院とも言われ、内宮の鬼門を守っています。

参拝を終えた後の楽しみは今も昔も同じ

伊勢神宮を参拝後、真っ直ぐ家に帰ったかというといろんな方がいたでしょう。
谷治さん喜多さんも寄り道をしていますし、一生に一度でてきたんだからついでに京都も、、という方も少なくなかったようです。

ただこのまま折り返す方も、すぐに帰るのではなくちょっと休憩してからということで、外宮と内宮の参道は大変賑やかでした。
『古市遊郭という、当時は大変賑やかな場所もありましたが、現在はわずか面影を残すのみとなっています。


また、内宮周辺には賑やかな茶店が立ち並び(現在のおはらい町)、当時は赤福だけではなく各々の店が茶や甘味を販売していました。
確かに疲れて、団子でもって甘いもの食べたくなりますよね。
今は土産店になっているところがほとんどですが、岩戸餅、神代餅などお土産としても販売しています。
今も赤福の本店や五十鈴茶屋などお店の中で甘味を楽しめるお店もあります。
赤福とかき氷_ACフリー夏はかき氷、冬はお汁粉など季節で異なるメニューも旅の楽しみの一つ/赤福本店

変わりゆく参拝方法

江戸のころは一生に一度の場所であった伊勢神宮。
現在では『伊勢は1度(ひとたび)』ではなくなり、何度も出かけることのできる場所になりました。
夫婦岩のしめ縄から、宇治橋の鳥居の間からのご来光を拝みに、
毎年月初めに参拝する朔日参り(月の最初の日に氏神様に挨拶にいくこと)
などそれぞれの目的によって何回でも訪ねることができるようになりました。

江戸時代に参拝された方々の想いを胸に、新しい気持ちで訪れてみてはいかがでしょうか。

この記事で紹介した
ツアーはこちら

アルピコ長野トラベルWeb会員登録

Web会員登録していただくと、ツアーやご旅行のお申込みがスムーズ!
メルマガで、購読者限定のお得な旅の情報も受け取れます。

会員登録はこちら

※ご入力いただいたお客様の個人情報に関しまして、
当サイト以外の第三者に公開する事は一切いたしません。

※個人情報のお取り扱いに関してはこちら

Yamaga FC

\熱き応援が勝利を呼ぶ!/

松本山雅FCオフィシャル応援ツアー

ご予約はこちらから
Bus

\アウェイサポーターも大歓迎/

サンプロアルウィンスタジアム送迎バス予約

ご予約はこちらから
ページトップへ